札幌のレトロな魅力を探しています。


by retro21
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ふたつのクロンボこけし

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これは、最近僕が実際に自分で体験した不思議なお話です。

ある週末の土曜日に、僕は、とあるレトロ雑貨店を訪れました。
昭和レトロな雑貨をたくさん並べているそのお店で、僕はいろいろな小物を買っていました。
その日も、なにか面白いモノはないものかと店内をウロウロしていたら、一対のクロンボこけしが目に入りました。
頭に毛糸の髪の毛を乗せ、布地の服を着たかわいいクロンボのこけしです。
確か、一対で1,000円程度のものだったと思うのですが、僕はそのクロンボこけしを買うのに随分迷いました。
というのも、僕はこうした戦後の商業こけしの類は、せいぜい200円か300円程度で買うものであり、あまりムキになって買うものではないという気持ちがあったのです。
それでも、結局僕はその一対のクロンボこけしを買って帰りました。
以前にムック本で紹介されていたそのクロンボは、僕にとって魅力的な存在だったということなのかもしれません。

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その翌日の日曜日に、僕は近所で開かれていたフリーマーケットを散歩がてら冷やかしに行きました。
こういうフリマでレトロ雑貨を探そうとしても、ほとんどはうまくいきません。
フリマで扱われている商品の多くは古着や使い古しのオモチャであり、数十年前のものをわざわざ持ってきて売る人というのは稀少な存在なのです。
たまに、骨董品を並べているかと思えば、プロまがいの業者みたいな出品者であり、そういう店では骨董店並の値段が付けられていたりします。
時には、完全な素人の出品者が古いものを持ってきていて驚かされますが、骨董店以上の根付けに再度驚かされたりもします。
骨董に興味のない人というのは、古いものにはすべからく稀少価値があり、相応の値段が付くものだという思い込みもあるようです。
だから、骨董屋で100円の印判皿が、フリマでは3,000円の値段になっていたりすることもあるのです。

そんなわけで、フリマではあくまで散歩気分で冷やかすのを主としていた僕は、その日ものんびりと混雑する人と人の間を歩いていました。
いろいろな雑貨を並べて売っているお婆さんの店の前で、僕はふと足元に置かれているダンボール箱が気になりました。
箱の中には、さらにどうでもいいと思われるコマゴマしたものが押し込められていたのですが、その中に僕は前日にレトロ雑貨店で買ったばかりのものと同じクロンボこけしを発見したのです。
100円硬貨1枚を渡して、僕はそのクロンボこけしを持って帰りました。

こうして僅か2日間の間に、我が家にはほとんど同じといっていいクロンボこけしが並ぶことになりました。
正確にふたつを比較してみると、微妙な違いがあります。
首の形や長さが異なっていて、そのために全体の大きさが少しだけ違っているのです。
けれども、全体的にはそれは同じ種類のこけしだと言っていいでしょう。
おそらくは50年近く前のモノだと思われるこの小さなこけしが、ある週末に我が家にやって来たのは、果たしてただの偶然だったのでしょうか。

レトロ雑貨集めは、時々こうした疑問をそっと投げかけていくのです☆

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ところで、僕は随筆を読むのが好きで、特に「日本の名随筆」シリーズはおもしろい随筆をテーマ別にまとめて読むことができるので、非常にお気に入りです。
今読んでいるのは、小沢昭一編の『貧』です。
庶民の生活に常に付きまとっていた「貧しさ」というテーマは、実に人間的で切ないドラマをたくさん生み出しています。

今でも決して豊かとはいえない僕の生活ですが、もっとも辛かったのは最初に就職した会社を退職して、アルバイトで食いつないでいた20代前半の2年間のことです。
その頃、僕は近くの歯医者で働いていた女の子となんとなく一緒に暮らすようになっていて、会社勤めをやめた後は、毎朝仕事に出かけていく彼女を見送るような生活でした。
もちろん彼女にしてみても歯医者はアルバイトのようなもので、とても2人が暮らしていけるだけのものではありませんでした。

僕は午後までベッドの中で眠り続け、夕方になってようやくアルバイトに出かけ、深夜に帰ってくる生活を送っていました。
毎月のアルバイト料は部屋代や高熱水費なんかでほとんどなくなってしまい、日々食いつなぐのが本当にやっとの日々でした。
その日食べる米代がなくて往生したことも、一度や二度などというものではなかったくらいです。

そんなわけで、どうにか定職にありついたとき、僕は自分の夢とか希望とかを並べられるような状況ではなくて、とにかく毎月安定した給料がもらえる仕事に就きたいという気持ちでいっぱいだったことをよく覚えています。
あの頃の生活を思うと、大抵の苦労は乗り越えられてしまうから不思議ですよね。
少なくとも、骨董屋や骨董市に通って古道具を拾い上げたり、釣り竿とテントを背負って渓流を遡るくらいの余裕があるということは、あの頃とは天と地ほどの差があるような気がします。

この『貧』という随筆シリーズを読みながら、僕はそんな自分のどん底時代を思い出していました。
実際に貧しい生活を体験した人たちの話というのは糧になるものだし、どんな経験談よりも人生の真実がそこにはあるような気がするのです☆
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by retro21 | 2006-05-08 21:30 | レトロ雑貨